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〈死ぬまで達者〉−深沢七郎『楢山節考』を巡って−

 晩年の七郎は心臓病で四,五回も入退院を繰り返し、二十回以上も心臓ぜんそくの発作に見舞われた。
周囲が健康を案じて、
「塩辛いものをひかえたら」
とか、
「煙草はやめたら」
というと、彼はいつも
「なーに、人間、死ぬまでは元気だから」
と繰り返した。

 深沢七郎の一生はいつも誤解と偏見に取り巻かれていた。

 彼は米のとれない貧しい村を舞台にした『楢山節考(ならやまぶしこう)』で、七郎は作家生活をスタートをした。
彼自身、風貌も素朴で言動は常に率直だったから、極貧の生活の中から育ってきたと思われた。
実際は甲州街道の昔からの宿場町・石和(いさわ)の、裕福で江戸趣味の濃い脇本陣が生家である。
五十歳を過ぎて埼玉に農園を開くまで農業などやったこともない。

 中央公論新人賞になった際、日劇ミュージックホールの裸の踊り子の後ろでギターを弾いていたから、学識もないと思われた。
けれども、彼は山梨の名門・旧制日川(ひかわ)中学の出身で、「万葉集」「平家物語」など、ほとんどそらんじていた。

 六十年安保で世の中が騒然とする頃、彼は『風流夢譚(ゆめものがたり)』という寓話を書いて、日本の和歌が、約束事ばかり多く中身が空疎であることをからかった。
作品は皇室を愚弄していると理解されて、出版社の社長宅が襲撃され、殺人事件まで起きてしまう。
彼は日本中を逃げ回るはめになる。

 誤解の最たるものはデビュー作『楢山節考』の受け止められ方だ。
作品は信州の〈うば捨て伝説〉を下敷きにしていたし、木下恵介監督の衝撃的な映画もヒットした。
これらの印象から、『楢山節考』は残酷な〈棄老(きろう)〉物語だと言われることもあった。

 読んでみれば一目瞭然なのだが、この作品ほど、人の〈世〉と高齢者の存在について真正面から向き合った小説は他にはない。
生死、老いというものを心底慈しむ、温かく優しい作品だ。
〈世〉は人と人のつながりで成り立っているし、永遠に人は誰かの為になって生き、誰かの為に死んでゆく−こういう人の〈世〉の連鎖を思い出させてくれる。

 今や、ますます「私」「我」ばかり主張することの多い世の中である。
福祉や医療、高齢者に対する施策や考え方は、カネやモノあるいは技術の問題にばかり矮小化されていはしないか。
それらは本当に一人一人の生や死を温かく包む、血の通ったものになっているのだろうか。
人と人との〈思い〉のなかで、福祉も高齢者問題も考えられるべきではないのか。

 彼の仕事、たとえば『笛吹川』『甲州子守唄』『みちのくの人形たち』等の作品は、どれも〈世〉や〈時代〉から超然としているようだ。
が、〈高度経済成長〉と共にこの国が失ってしまったもの、失ってはいけなかったものを常に表現し続けてきたと言えるのではないか。

(2003.6.19 第33回関東甲信越高齢者問題山梨集会・講演レジュメ)


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