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甲斐よもやま話−中村星湖を知ってますか?

 ここの1枚の写真がある。茅ヶ崎南湖院にて(明治41年5月24日) 後列左より小杉未醒・岩野泡鳴・真山青果・吉江孤雁。中列左より前田晁・国木田独歩・田山花袋。前列左より政宗白鳥・中村星湖・小栗風葉・相馬御風。
処は茅ヶ崎南湖病院の玄関先。
時は明治41年。和服あり、洋服あり、口ひげあり、腕組みをし、頬杖をつき、膝を抱え……。
自己主張のいかにも強そうな12人の男たちが、てんでんばらばらのポーズでカメラの前にいる。
真ん中にいるのがややうつろな眼差しをした国木田独歩。
田山花袋、正宗白鳥、それに岩野泡鳴もいる。
病中の独歩を見舞った当時の文壇の中心作家たちの姿である。

 中に本県出身の作家が2人含まれている。
1人は、歳は30だが、やや童顔で心持ち首を傾け、着物で腕組みをしている。
山梨市八幡生まれの前田晁である。
博文館の「文章世界」の編集者で、フランス文学の翻訳もする。
花袋・独歩などの作品を載せるこの雑誌は、当時の文壇の一大拠点だった。

 もう1人、真ん前で立て膝を抱え、不敵な面魂をしているのが、中村星湖。
河口の産で当年25歳。
前年、「早稲田文学」の懸賞では長編小説『少年行』で1等を獲得している。
審査員は当代売れっ子の文芸批評家・二葉亭四迷と島村抱月。
星湖は矢継ぎ早に小説を発表し、一躍文壇のスターとなっていた。

 二葉亭主四迷は『少年行』をこう激賞した。

ローカル・カラーがバックになって人間が動いているというよりか、田舎の情景の中に、大人も子供も嵌(は)まったようになって出ている ……ここが私の最も感心するところです。……神に入る伎倆(ぎりょう)、得がたい天成品だと思います。……例のない作品でしょう。

 新潮社の『日本文学大辞典』にはこうある。

この作品はただに星湖の代表作であるばかりでなく、日本に於ける自然主義文学の典型的作品でもある。

 連想ゲームではないが、「自然主義文学」!と言われて、どんなイメージを持つだろうか。
よく言われる島崎藤村の『破戒』や田山花袋の『蒲団』などが連想されるだろうか。

 『少年行』を読んでみるとまるっきり印象が違う。
明治末の富士山麓の貧しさと少年期の星湖の姿は彷彿とするものの、けっして暗さはない。
富士山麓、甲府と舞台も広いし、河口の尋常小学校から甲府中学(現甲府一高)へと時間も長い。
四季の自然と人間の交流もある。
なにより小説らしいストーリー(ハナシ)があるのである。

 こういう作品がもっと作られていれば、日本の小説も変わっていただろう。
特に「自然主義文学」のイメージも……。
けれども、文壇小説は相変わらず真面目で暗く、身の回りのことを書くという小説が目立った。
星湖も自分や友人や親族の内幕をあばくような作品を次々に書いていった。
モデルにした友人の病が悪化して悩みもしたが、作品は非情でもあり優れてもいた。
数多くの著書も現れ、「読売新聞」や「早稲田文学」などに彼の名の載らぬ号はなかった。

 大正の終わりごろから、星湖の創作の速度は極端に落ちる。
「朝日新聞」に連載ていた彼の身辺に取材した小説について、上京した親族から涙の抗議があったという。
やがて星湖は創作の筆を折り、随筆・評論活動、あるいは地域の文化活動を主とするようになった。

 星湖は自然主義作家−芸術家としての非情を選ぶより、「人間」である道を選んだ。
近代文学史上に1点のひときわ明るい輝きを残して。

 いつぞや

「『少年行』を読んで、東京で学ぼうという志を抱きました。あの本をもういっぺん読みたい」

と言われたのは、九州の70過ぎの方だった。

(山梨県教育長「ひろば」1988)

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