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南都留郡道志のフライ・フィッシング場

『道志(どうし)七里』−柳田国男
    くぬぎの葉っぱ

 「道志七里」−馬子唄でも聞こえてきそうなのどかでいい響きだ。

 村の形をくぬぎの葉っぱのようだと言ったのは、昭和28年、同題の村史を独力で書き上げた伊藤堅吉である。

 彼によれば、道志川とその枝沢が葉柄と葉脈だという。周囲の山や峠を歩き、農家に宿を借りたりしていた伊藤は、大戦中、富士山麓へ移り住むことになる。甲斐の山路への思いはいっそうつのり、御坂(みさか)山岳会を興(おこ)して「道志七里」を含む富士北面の山々を盛んに歩く。

 ある日、街道に待ち構えるふたりの村人から、伊藤は村史の編さんを依頼される。住民に支えられて伊藤は、道志の自然、ひと、文化、沿革、伝承、社会についてまとめ、1,000ページにも及ぶ大著『道志七里』を完成させる。全編にあふれる厭味(いやみ)のない興味と暖かいまなざしは、伊藤の人柄であるが、それ以上に、道志の村人ののどかさとやさしみがその筆端から漏(も)れ出たと見るのがよさそうだ。
柳田国男懐古の碑−「意(こころ)を残す邑(むら)」と題されている。
 村史には民俗学の秦斗(たいと)柳田国男が序を寄せる−題して『甲斐南都留郡道志村』。前書きに昨日今日出来た温泉ではない。道志温泉・日野出屋。旅籠風だ。いわく

「『道志七里』の刊行をよろこび明治四十四年五月十六日執筆した一文を贈る」。

 柳田が焼畑農の名残の地名だとする大室指(ざす)のほか、辺りには石仏が多い。馬頭、地蔵……どれもこれも温和な面もちで行き交(か)う車のほこりの中にまどろんでいる。

 柳田は『東国古道記』にも

袋の底だとか行きづまりだとか謂(い)って、平野の人たちに疎(うと)んぜられて居た地で、案外にそうで無いものが幾らもあった。

と書く。道志も津久井にいたる関東平野のひとつの入口である。
(1991・4)

道志温泉日野出屋


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